趣意書
この研究会は、子どもやその家族を臨床の対象とする精神科医や心理士などの研鑽を目的に、2008年に「児童分析臨床研究会」として立ち上げられました。当初は精神分析理論を基礎として学ぶことを目指したのですが、子どもや家族の変化、そして臨床の場の多様化などから、「精神力動的」といったより幅広い臨床観がこの研究会には適しているのではと皆で話し合い、今回名称を「精神力動的児童臨床研究会」と新たにしました。
様々な分野で情報化やグローバリゼーションが進んでいる中、情報を俄かに「信じられない・信じてはいけない」という奇妙な状況が生じています。有史以来、情報は「操作」という言葉が存在するように、その時の都合に合わせて変えられてきたものでしょうが、最近では誰でも情報発信できる便利さが、かえって人々を疑心暗鬼にさせているのです。結局我々人類は現在、科学の発達や経済の発展という万能感に浸っているように見えるものの、虐待や育児困難な親たちが増加していることからわかるように、「人と人との関係性」は軽んじられ、潜在的にはみなが強い不安や無力感を感じ、そして「何を信じればいいか」を見失っているのです。
医療全般においてもエビデンスが強調され、「癒し」という言葉は現代医療には似つかわしくないとさえ言われます。むろん医学は古今東西様々な経験から得られた確証を基に発展してきたのは疑う余地はありませんが、エビデンス至上主義のために治療者の感覚や「癒し」というものから乖離してしまっているのは困った問題です。「癒し」が否定された瞬間に、人間から、そして「心」から医療は離れてきているのです。
精神科や心理臨床の場面でも、形になること(診断名やマニュアル本、薬物療法など)がもてはやされ、精神療法は軽んじられる傾向です。心の専門家であるはずの臨床家が、小説などでも描かれてきた繊細で、複雑で矛盾に満ち、時には奇妙ともみえる「人の心」の動きというものを忘れようとしているかのようです。本来の子どもの精神科(心理)臨床であるべき、子ども一人ひとりの内面の苦しさを慮り、解決の糸口を探るという営みからほど遠いものにさせてしまっていることを危惧します。
臨床の場で接する子どもやその家族に対する理解は、あくまでも個別的なものでなければなりません。その治療も、最終的には患者や治療者にとって個人的体験になるのでしょう。本研究会では、数字や確率で割り切れない個別的、個人的なものをより治療的なものに高めるために、「精神力動的視点」を理論的基礎において、子どもやその家族の心に対する理解の仕方や治療について学び、「不完全なこと」を内省しながらも、自分の臨床を信じられるように研鑽を積むことを目標とします。
「精神力動的児童臨床研究会」運営委員代表 川畑 友二
